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中国通信vol.5 (大連・旅順) [中国]

12月9、10日の2日間で大連と旅順に行ってきた。

大連は人口約600万人、黒竜江省、吉林省、遼寧省のいわゆる東北三省の中でも発展目覚ましく、「北方の香港」と呼ばれる港湾都市。
約4,000社近くの日本企業が進出しており、約5,000人の日本人が駐在する。日本からは札幌、仙台、成田、中部、関西、富山、岡山、広島、福岡から直行便が飛んでいる。
歴史的にも日本とつながりの深い都市である。

空港から中心市街地まで約15分と近く、利便性に富んだコンパクトな街といったイメージ。そしてなにより空気がきれい、北京とは違う。
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近代的なビルが建ち並ぶ側面と昔の面影を残す建物とが融和しており、とても興味深い。
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<旧ロシア人街>
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<旧横浜正金銀行大連支店・現中国銀行>
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つい先ほど「坂の上の雲」を見た、第11回「203高地」。

「そこから旅順港は見えるか?」
「見えます。丸見えであります。各艦一望の下におさめることができます。」
<203高地頂上から旅順港を臨む>
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昨日、旅順に行き、203高地に登った。
一昨年「坂の上の雲」を見始めたとき、まさかこんな奇跡が待っていようとは思いもよらなかった。この日程が決まった時、そもそもこっちで「坂の上の雲」が見られるとも思っていなかったし、翌日の内容が「203高地」だとも知らなかった。
単なる偶然か、何らかの必然か、運命的なものを感じずにはいられなかった。

頂上には戦後乃木希典が砲弾の破片を集めて作ったという記念碑が現存する。
碑には「203」と掛けて「爾霊山(にれいさん)」と記されている。「爾(なんじ)の御霊(みたま)を想う」と乃木が命名した。
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1904年12月5日、この203高地の奪取により、旅順港のロシア艦隊への砲撃が可能となり、連合艦隊は来るべき日本海海戦の準備にようやく取り掛かることができたのである。
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その後1905年1月1日、難攻不落の旅順要塞が降伏。乃木大将とステッセル中将の会見が行われた水師営には当時の建物が復元されている。
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旅順は軍港があるため、長らく外国人への開放が制限されてきたが、90年代から観光スポットについて順次解放され、一昨年から軍事施設を除いて全面解放された。
大連からは車で約1時間、人口約20万人と小さな街だが、戦争遺産が多く残るところでもある。

水師営会見所横のレストランでは、海鮮料理が食べられる。
大連、旅順は周囲を海に囲まれているため、海の幸が豊富。味もなかなか良い。
<なまこ>
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<魚とトウモロコシで作った餅>
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こちらにきてから初めて北京を出たが、とても印象に残る旅。
とともに、日本のことを強く想い起こす旅でもあった。
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