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夏休み [中国]

先週は1週間夏休み。今年は一足早く取ってしまった。
この休暇を利用して九寨溝、黄龍に行ってきた。
九寨溝に行くには成田から直行便のある成都に入り、成都から九寨黄龍空港へ移動というパターンが比較的楽。おまけに成都観光も可能だ。
1月の春節のときにも訪れたが、何と2度目の成都観光。しかも初めての夏の中国である。
<四川省名物「担担麺」>
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パンダも暖かいせいか元気がよく、昨年生まれたパンダは前回よりも成長していた。
<熱心に笹を食べ続けるパンダ>
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成都といえば三国志ゆかりの都市、かの劉備、諸葛亮が治めた蜀の国の都であり、三国志好きにはたまらない地である。前回は時間がなくて入れなかった武候祠博物館をついに見学できた。
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ここは劉備、諸葛亮を祀る祠堂で、惠陵と呼ばれる劉備の墓もある。また関羽、張飛などかつての英雄たちの像が立ち並ぶ姿は圧巻。
<柔和な顔の劉備玄徳像>
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成都観光の後、空路九寨溝へ向かった。
九寨溝は1992年に黄龍とともに世界遺産に登録された、自然が作り上げた美しい峡谷。地殻変動や氷河の融解凝固を繰り返し、水中の酸化カルシウムが固まって作られた湖沼が無数にある。
エメラルドグリーンに輝くその景色は言葉が要らないくらい美しかった。
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九寨溝から約150キロを車で3時間かけて山道を抜けて行ったところに黄龍はある。
石灰質を含む地下水が結晶化し、土や落ち葉を取り込んで独特の形状を作った。まるで輝く棚田のような池は、日光や見る角度によって色が異なり、青色、緑色、黄色、透明など様々な色に変化する。
高いところは高度約3,500mにもなり、酸素ボンベを持って約4時間かけて歩きながら風景を楽しんだ。
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九寨溝、黄龍を観光した後、再び成都へ戻り、1日フリーで市内を散策。
<風情ある店構えのスタバ>
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前回に続き再び陳麻婆豆腐店へ。陳婆さんが作ったので麻婆豆腐といわれるようになったという発祥の店。
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これで何と12元(約160円)。
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四川省といえば麻辣火鍋、辛さのきつい赤色とうま味のある白色の2色の鴛鴦(おしどり)鍋。汗だくになりながら食べるも、次第に白色しか食べなくなってくる。しかし旨い。
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<成都で火鍋といえば皇城老媽>
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1日当てもなくぼうっとしてお茶を飲んで過ごす、こんな日々が続いたらいいなと思いつつも現実世界に戻ってきた。
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物価も安く、ゆるやかに時間の流れる中国でしばし骨休めができた。また明日からは厳しい現実との戦いが始まるのである。
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中国通信vol.16 (帰国) [中国]

先週の月曜日に北京より帰国した。
滞在日数143日、この間日本には戻らずにずっと中国で過ごしたのだが、もちろんこれほどまでに日本を離れたのは初めて。意外と不自由なく暮らせるものだと思った。

北京で生活してみて感じたのは日常生活で困ることはほとんどなく、想像以上に何でも揃っていたということである。数多くの日本企業が進出しており、何不自由なく生活できる。
インフラの整備状況は素晴らしく、一方でマストラはこれからという感じ。しかしもう5年も経てばこれらも解決しているのだろう。この政治体制故に成せる技だ。

毎日学校通いなのでほとんど講師とであるが、中国人といろいろ交流している中で彼ら彼女たちと本音で話し合うことができ、中国人の物の考え方に触れられたのはとても興味深かった。
日本での報道はともすれば負の側面ばかりにスポットを当てがちであるが、決してそれだけではなく、素晴らしい側面もたくさんあった。
そうしたことを身をもって感じられたのは貴重な経験であった。

語学はといえば、日常生活は不自由なく過ごせるようになった。
小さなトラブルには対応できるというレベルだろうか。
中国人に道を聞かれてきちんと答えられた時は自分でも成長を感じた。
一方で耳はよく慣れたが、アウトプットがまだまだというのも事実。この分野をどう攻めるかが今後のキーポイントだ。

部屋を片付けて引き払う際、空っぽになった部屋を見てとても寂しかった。
北京はとても優しく自分を受け入れてくれたように思われる。
いつも家族や友人を空港に送って行った時には帰りたくて仕方無かったが、今回は帰りたくない気持ちでいっぱいだった。

明日から社会人12年目を迎えるわけであるが、この歳になって新しい言語を含め新たな分野を開拓できたのは大きいと思う。
しばらく日本での仕事が続くと思われるので、中国語のメンテナンスが一つの鍵。

今日、用事で早稲田に行ったが入学式が行われていた。
ちょうど15年前に自分もこうして大学生活に入っていったのだなと思うとあっという間だった気がする。時が経つのは本当に早い。

昨年11月にスタートした「中国通信」もしばし一休み。またいつか続編を書ける時が来るのを願うばかりだ。

明日から新しいところで新しい仕事が待っている。
毎年ながら新人に戻ったつもりで一から頑張りたい。

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中国通信vol.15 (上海・杭州) [中国]

中国滞在最終週、週前半で語学学習を終え、後半は上海と杭州に旅行に出かけた。

20年ぶりの上海、昔の面影もないほどの発展ぶりに度肝を抜かれる。
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世界で最も高いところにあるという森ビルの(上海環球金融中心)展望台に登ってみた。快晴ではなかったが、上海の街が一望でき、地形をよく理解できる。
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<100階の展望台>
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<外灘から対岸の浦東地区を臨む>
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<外灘の租界地区>
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国際金融都市として名高い上海、外国人慣れしている感じがあり、とても過ごしやすいだろう。
1日半の滞在の後、高速鉄道で杭州へ移動した。
杭州といえば西湖(せいこ)、古くは秦の始皇帝の時代から知られ、唐代から西湖の呼称が用いられるようになったとか。世界遺産に指定されている。
西湖十景など見どころはかなりあり、北京の頤和園にある湖はこの西湖をモデルとして作られたもの。現在の人民元1元札の絵柄でもある。
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ちょうど柳の新芽が出てきたところで、とても美しかった。
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今までに見た中国の観光地の中でも最もと言っていいほどよく整備されており、観光には最高である。
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杭州でも1日半滞在したのち、北京に戻ったが、何だか自分の街に戻ってきた感じがした。
上海はとても住み易そうであるが、外国人慣れしている感じがした一方、北京は何ともいえない愛着を感じさせる。自分は北京向きかもしれない。

最後の北京を迎えている。
明日、いよいよ帰国。
今となってはとても寂しい気持ちでいっぱいだ。
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中国通信vol.14 (故宮) [中国]

3月も半ばに差し掛かろうというこの頃、北京は風が強くなってきた。もう少しすれば黄砂がやってくる。これは本当に厄介らしい。
中国滞在も残すところあと2週間少々、時が過ぎるのは本当に早いものである。

この週末、日本から遊びに来た友人とともに18年ぶりに故宮に行ってみた。
朝10時過ぎに行くと既に大勢の観光客が来ており、切符を買うにもしばらく並んだ。
18年前の遠い記憶を辿りながら、また新たな視点で見られた気がする。
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<清朝は満州族だったため、満州語と漢字の両方で書かれている額>
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よく歩いたが、心地よい疲労感に包まれた。
久しぶりに映画『ラストエンペラー』を見てみたくなった。

<景山公園から故宮を一望する>
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ここまで4か月、中国に来ていろんなものを見て、いろんなことを聞いて、いろんなことを感じて、いろんなものを食してきたが、これもあと2週間でしばし中断と思うとしみじみと淋しさがこみ上げてくるようになった。
これまでも家族や友人が遊びに来てくれたのだが、その際に空港で見送るときは「ああ帰りたい、日本で美味しいお米が食べたい」と思ったが、今回友人を見送った時はちょっと違ったかもしれない。
語学の方はというとまだまだ全然であるが、ここ1ヶ月で一つ階段を上れた気がする。といっても階段はまだまだ続くのであるが。
いずれにしても残り2週間、そうしたら再び日本に戻ることができる。

<一杯6元(約99円)の担担麺>
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そして今日であの大震災から1年、まだまだ復興道半ばであるが、一日も早い元への復興をただただ願うばかりである。
この教訓は決して忘れはしない。
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中国通信vol.13 (武漢) [中国]

とうとう3月になった。
北京も春の気配が強まってきたが、それは滞在時間が余すところ僅かになってきたことをも意味するのである。

この週末、前からぜひ一度行きたかった武漢へ行ってきた。
長江中流域に広がる武漢は、長江に漢江が合流し、街が大きく3分される地形上の特徴をもつ。武昌(長江右岸)、漢口(長江左岸・漢江北岸)、漢陽(長江左岸・漢江南岸)、この3つが「武漢三鎮」と呼ばれ、長く鼎立することとなった。

長江はこの辺りになってくると川幅も増し、立派な威容を見せつけていた。
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<長江にかかる長江大橋>
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漢口地区から武昌地区に向けて武漢長江大橋を渡ると正面に見えてくるのはそう、黄鶴楼である。
李白が詠んだ『黄鶴楼送孟浩然之広陵(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)』の詩で日本人にも馴染みがあるのではないだろか。
中学生の時、NHKの『漢詩紀行』で黄鶴楼を見てから中国文化と漢詩に興味を抱き始め、ぞれ以来ずっとこの目で見たかったのが漸く実現したのである。
黄鶴楼を目の前にしながら時の経つのをしばし忘れ、1時間ほど眺めていた。
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<黄鶴楼から眺める長江と長江大橋>
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<鶴の羽を思わせる特徴的な屋根のカーブ>
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黄鶴楼は催顥の『黄鶴楼』でも有名。「昔人 已に白雲に乗って去り 此の地 空しく余す 黄鶴楼」という詩である。
この日の長江はまさにこの詩のとおり、「煙波 江上 人をして愁へしむ」といった感じであった。
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黄鶴楼に感動し、たまらず模型を買って帰った。
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武漢は1858年の天津条約によって開港され、租界が設置された。その名残は今でも見ることができる。
<旧横浜正金銀行>DSC06179.JPG

<中国五大麺の一つとされる武漢の熱干麺(热干面)>
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先週、4月以降の勤務先が東京に決定した。しかも中国とは全く関係のない部署で働くことに。せっかく身につけた中国語をどうやって維持したらよいものかは悩みどころである。
しかし何はともあれ、ひとまずは日本で落ち着けることは間違いない。
あと3週間、ラストスパートで総仕上げとしたい。
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中国通信vol.12 (内陸部その3) [中国]

中国内陸部旅行の第3弾、重慶市。
重慶市は北京、上海、天津に次ぐ4つ目の直轄市であり、内陸部開発のテコ入れのため1997年に四川省から分離された。
日本企業ではスズキやヤマハの工場があり、またユニクロが多数出店している。因みに重慶のタクシーはスズキの車が使われている。
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流石に直轄市だけあって、街は到る所で開発が進み、そしてとてもきれいである。
重慶の中心地は嘉陵江と長江が合流するところにあり、2つの大河に挟まれている。合流地点では異なるそれぞれの水の色がはっきりと見える。
<水の色が黄色いのが長江>
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長江と対岸を結ぶロープーウェイが運行されている。以前は嘉陵江にもあり、重慶市民の貴重な足であったのだが、それぞれに幾本もの橋が架けられ、1本のみ残っている。上から見る長江は雄大であった。
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重慶の特徴はとにかく坂が多いこと。数百メートル行くとすぐに坂になり、とにかくアップダウンが激しい。このため、重慶は別名「山城」と呼ばれる。坂の上と下では街は違った顔を見せてくれる。
この坂を処理するため、街の中に公共の有料エレベーターやエスカレーターもあり、1~2元で利用できる。
<こうした坂を処理するエレベーター>
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<有料エスカレーター、とても長い>
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<マンションの中をモノレールが貫通する>
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この坂故に、重慶では他の都市によく見られるものが見られない。そう、自転車である。そして太った人も少ないそうである。

夜の街もライトアップされ、本当にきれい。
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北京はこのところ急速に春の兆しが強まってきており、春の気配に心もそわそわ。休日はむしょうに出かけたくて仕方がなくなってきた。
今日は天気も良かったので朝から天壇公園を散策、そして昼は炸醤(ジャージャー)麺。
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ところでつい先日、4月以降日本で働くことが決まった。本当にうれしい。これで美味しい日本食が食べられる。やったー!これでまた東海道を歩ける。というか、めちゃくちゃ早く歩きたくなってきた。今年中に絶対京都に着いてやるぞと強く思う。

その反面、残り1ヶ月となった中国生活。悔いのないように語学にも力を入れて、そしてまたいろんな経験をしたい。というわけで、次の週末は武漢へ旅に出ることにした。

先週から大学が始まり、朝は7時前に家を出る生活が始まった。大変だがあと1ヶ月、大切に過ごしたいと思う。
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中国通信vol.11 (内陸部その2) [中国]

引き続き中国内陸部旅行の話、今回は雲南省の省都である昆明。
そもそもこの旅の最大の目的は内陸部二大都市、重慶、成都を見たかったというところから始まった。成都と重慶の間は列車で2時間と近いのだが、それ故に航空便がないのである。
春節のこの時期、列車の切符入手は非常に困難を伴う。仕方なくフライトを選択したのだがそのためにはどこかで乗り換える必要があり、そこで昆明に立ち寄ったのである。
滞在時間は約9時間。

まず向かったのは「雲南民族村」、雲南省に暮らす少数民族の生活、習慣を再現するテーマパーク。
中国は漢民族と55の少数民族からなるが、この雲南民族村にはそのうち25の少数民族の村が再現されており、それぞれの村では各民族の人たちが民族衣装を着て踊ったり文化を紹介したり特産品を販売したりと、実際の生活の雰囲気を味わえる。
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<民族料理のパイナップルごはん>
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「准静止锋」という気候を表わす言葉があるのだが、インド洋からの暖気とシベリア寒気がちょうどこの昆明辺りで対峙するのだそうで、大変気候が良いとのこと。
この日は1月下旬にも関わらず20度近くあり、また空の色も青くてとても美しかった。中国に来てから最も奇麗な空色であった。
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昆明老街という古い街並みの残るところに行ってみた。けれどとても古くて、まさに壊される寸前というところ。壊したあとは道幅を取って、昔風の新たな建物に変わりテナントビルとして利用されていた。うーん、ちょっと勿体ないような。
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来年5月の開業に向け街のあちこちでは現在地下鉄工事中。
日本からはまだ馴染みの薄い昆明だが、東南アジア、南アジアからの玄関都市としてまさに今発展中というところだった。

ところで先々週の週末に不覚にも風邪を引いてしまい、先週は5日間ダウン。
北京の風邪は強烈で、これまでで最もひどいものであった。
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中国通信vol.10 (内陸部その1) [中国]

春節の休暇を利用して中国内陸部を旅行してきた。
成都、重慶という内陸部を代表する2大都市、それに雲南省の省都である昆明を訪問。
まずは成都から紹介したい。

成都市は中国の西南部に位置する四川省の省都、副省級市である。三国時代には蜀の都となったこともある古くからの都市。
沿岸地区に比して開発が遅れている西部地区を重点的に開発するため、2000年から「西部大開発」という国家プロジェクトが行われている。その中でも成都市と重慶市は中核である。

 成都を語るにおいて2つの有名な言葉がある。「蜀の国の犬は、太陽が出ると吠える」、もう一つは「宵越しの金は持たない」である。
前者はこの地の気候に起因するもので、盆地故に雲と霧が多く日照時間が少ない。それ故に太陽を見ると犬が怪しんで吠えるというもの。
 後者は歴史的に災害が少なく、肥沃な土地であることから人々の性格は楽天的でおおらかと言われており、消費意欲がとても旺盛であることを示す。
アジアの都市初のユネスコ「グルメ都市」に認定されるなど、食においてもその名を轟かせる。
 
まずは世界遺産でもある都江堰(とこうえん)。紀元前256年に始まった古代の水利施設である。
岷江の氾濫を防ぐ目的で作られたこの堰により、成都平原5,300㎢を潤し、成都を「天府」という豊かな地に変えたのである。写真ではなかなか伝わりにくいが、物凄いスケールと迫力であった。
<中央の島状のものは人工物である>
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成都のある四川省といえばパンダ。
パンダの繁殖基地がある。
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幼少期、青年期、成体と分けて飼育されているが、そこら中パンダだらけ。奈良公園の鹿のかわりにパンダがいるようなもの。有料でパンダを抱いて写真を撮ることも可能。
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<まだ小さなパンダ>
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成都の食を代表するもの、それは麻婆豆腐。「陳ばあさん」が作った豆腐から「麻婆豆腐」と呼ばれるようになったと言われているが、その元祖の陳麻婆豆腐店があるのだ。
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確かに唐辛子の辛さもあるのだが、それよりも山椒が効いていてピリピリする感じ。中国語では辛子の辛さを「辣(ラー)」、山椒のピリピリする感じは「麻(マー)」で表す。
汗が止めどなく流れ出したが、とても美味しかった。本当に満足。

<成都一の繁華街、春煕路>
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成都には伊勢丹、イトーヨーカ堂等も進出しており、特にヨーカ堂は中国初出店が成都であった。現在は5店舗まで拡大しており、そのうち2号店は日本も含めて世界一の売上高を誇るという盛況ぶり。
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三国志が好きな人にとってはこの地は蜀の都、歴史にまつわるものがたくさんある。
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 日本人が中国をイメージするとき、必ずと言っていいほど挙がるものにパンダ、麻婆豆腐、三国志などがあるが、これらは全て四川省にあることから、日本人にとって非常に親しみを感じる土地でもある。日本からは成田、関西、中部から直行便が飛んでおり、アクセスし易い。





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中国通信vol.9 (春節2) [中国]

今日1月23日は旧暦正月、北京はとても静かな朝を迎えている。

この新年を迎えるべく、拙者宅でも一昨日から急拵えで準備に勤しんだ。
まずは玄関の扉に「福」の字を貼り、福を呼び込む準備。貼り方は2通りあるが自分は逆さまに貼った。
「福が家にやってくる」は漢字で書くと「福到家(フー・ダオ・ジャー)」、「福が逆さまである」は「福倒着(フー・ダオ・ジャ)」と、「到」と「倒」の発音が同じ。逆さまに貼ってあるのを見た人が、「フー・ダオ・ジャ」ということで、福が自宅にやってくるというわけだ。もちろん正しく貼ってもご利益はあるとのこと。
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そして大晦日、年越しを迎えるべく買い出しに。本当に車も人も少ない。
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イトーヨーカ堂で大量に食材を購入、この時期食堂も休んでいるところが多いので困らないように。DSC05274.JPG

中国の家庭では夕方から家族そろって年越し番組を見るそうだ。そのため内容は歌もあればマジックに雑技、漫才まで幅広い年齢層の人が楽しめるようになっている。
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テレビを見ながら夕食を取るのだが、このとき絶対に欠かせないのが餃子。
中国では餃子は主食の一つなので、おかずと餃子なのである。
普通は自宅で皮から作っていくのだが、さすがにそこまでできないので冷凍餃子を購入、これもたくさん種類がある。
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この餃子、夕食時に食べる以外にもう一回食べる。午前0時、つまり年越しの瞬間だ。
「旧年的0点」と「新年的0点」が「交(ジャオ)」じるので、その瞬間に「餃子(ジャオズ)」を食べるというところから来ているとか。中国語は韻を踏むというが、何とも面白い。
小生もこれにあやかり、2度食べた。
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<夕方からビル壁面に巨大な時計が現れた>
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そして最大の楽しみといえば爆竹と花火。数日前から到る所に仮設の販売小屋が建てられ始める。
自作の爆竹や花火で怪我をする人が後を絶たず、一応現在はこうした政府の許可するところで購入したものしか使用できないようにはなっているようだ。そして点火できる場所と時間は厳しく決められている。違反すると罰金も科せられる。しかし待ち切れずに買ってその場で点火する人もいた。
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辺りが暗くなるとそこら中で花火が上がり始めるが、クライマックスは年越しを挟んだ1時間程の間。見たことのある人からは「まるで戦争のようだよ」と言われていたが、まさかとは思ったが想像を絶するほど、昼間のように明るくなる。
しかも至ることろで無数の花火が。隅田川と東京湾と多摩川の花火大会を足して10を掛けて3乗
したような感じ。これはもう、驚くとともに笑うしかなかった。「新年快乐!」
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今週いっぱいは完全に休み、明日からしばらく旅行に出る。
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中国通信vol.8 (春節) [中国]

いよいよあと1週間に迫った「春節」、今年は1月23日である。
中華人民共和国をはじめ、中華圏では1月1日つまり元旦よりも旧暦の正月である「春節(チュンジエ)」の方が最も重要視される。

12月にはあまり正月の雰囲気を感じさせないここ中国も、流石にこの時期になると新年を迎えるための準備で何処も彼処も大忙しである。
看板の掛け替え、街路灯への飾り付け、爆竹を販売するための仮小屋の建設などなど。
人々の気持ちも段々と心ここにあらずの状態になってきている。学校の先生だってそうなのだ。
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さて、春節はどのように過ごすのであろうか?
北京をはじめ大都市には地方からの多くの出稼ぎに来ている人々がいるが、春節は自分の「老家(ラオジャー)」に戻るのである。22日の大晦日は老家で家族とともに過ごすのが習わし、そして皆で新年を迎えるのである。
それ故にこの時期は中国国内で物凄い大移動が起きるのである。「火車(フオチャー)」(日本でいうところの長距離鉄道)の切符を求めて熾烈な争奪戦が繰り広げられる。しかも日本と違って直前まで販売されず、取り扱える業者も限られる。もしも指定席や寝台をとれないとずっと立ちっ放しということに。北京から内蒙古などへは26時間かかるのだから本当に辛いだろう。私の通う学校にもチケットは買えたが10時間立ちっ放しという先生がいた。それでも何倍~何十倍もする飛行機で帰るよりも良いのだそうだ。
21日等は本当に混むので、もう16日くらいからさっさと長期休暇を取って帰ってしまう人もいるようだ。

これだけの大移動が起きると何が起こるか?
そう、労働力不足である。高級ホテルやレストランでさえ、人を確保するのが大変。サービスを落としたり、休店とするレストランも出てくる。
本当にそれだけ大切にされているのだろう。

ところでこの春節にまつわるいろいろな面白い話、噂がある。
中国ではこの時期だけ爆竹への点火が認められるのだが、22日から23日に変わる時に一斉に花火や爆竹が始まり、北京の空が真っ赤になるとか、窓を開けていると隣のマンションから放たれたロケット花火が入ってきて危ないとか・・・
今年は何とも幸いなことにこの瞬間を北京で迎えられることになった。
うーん、本当なのか?これは実に楽しみだ。

今、中国は忘年会ラッシュ、旧暦だから今は年の瀬なのである。
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