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日本橋~浦和宿 [中山道六十九次]

平成25年1月4日、中山道の最初の一歩を踏み出した記録。
中山道は江戸から京都まで135里32丁(533.9キロ)、69宿の幹線街道。武蔵、上野、信濃、美濃、近江を経て、山城の京都三条大橋に到る。
このうち草津から大津、そして三条大橋までは先日東海道で歩いたので、東海道との合流地点である草津宿を目指すこととした。
東海道よりも距離がある上に、交通手段が東海道ほど便利でないところもあるのでゴールまで一体どれくらいかかるのだろうか?とにかくあまり深く考えずに挑戦してみたいと思う。

この日は仕事始めの日であったが、通常挨拶程度ですぐに終わるので休暇を取った。スーツ姿の人ばかりの地下鉄の中で赤色のウインドブレーカーに黄色のリュックサックという目立つ姿で日本橋に到着。前日は箱根駅伝で賑わった日本橋をちょうど8時30分にスタートした。
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神田駅付近ではJRの高架工事が行われている。2014年度に供用開始予定の東北縦貫線の現場で、完成後は現在上野止まりの東北本線が東京駅まで乗り入れ、東海道線と直結するそうだ。
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神田駅のガード下をくぐった先で中央通りから離れる。今はなくなった筋違見付の方へ進む。
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昌平橋の手前50メートル当たりのJR高架レンガ壁に看板があり、昔ここに筋違橋があったことが分かる。足元を見ると親切に中山道の標識が。
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仕方がないので昌平橋を渡って中山道を進む。
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神田明神は多くの初詣客であふれていた。
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本郷の交差点に「かねやす」を見つける。歯科医であった兼廉祐悦(かねやすゆうえつ)が乳香散という歯磨き粉を売り出し、大評判になったそうである。防災のため、町奉行であった大岡越前守はこの辺りから江戸まで茅葺ではなく瓦を使わせたそうで、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と川柳に詠まれたとのこと。
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東大農学部前の角に高崎屋という酒店がある。ここは江戸時代から続く酒屋で両替商も兼ねていたそうで、この辺りにあるはずの一里塚跡が見つからず、開店準備をされていたご主人に聞いて教えていただいた。
中山道最初の追分一里塚跡。
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10時に巣鴨駅到着、地蔵通商店街を通り抜ける。とげぬき地蔵のある高岩寺、地蔵様の前はお年寄りで長蛇の列であった。
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都電庚申塚駅の前に庚申塚がある。60日に一日やってくる庚申の日に、体の中にいる三尸(さんし)という虫が天帝に罪状を告げに行き寿命が縮まるという信仰から、庚申の日は寝ずに夜を明かしたそうである。なんとも恐ろしや。
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少し中山道から逸れてJR板橋駅前にある新撰組の近藤勇の墓に立ち寄った。近藤勇といえば東海道の赤坂宿と藤川宿の間にある法蔵寺に首塚があったのを思い出す。板橋で斬首された後、首は京都に送られて晒されたそうだ。江戸時代、恐ろしや。
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この付近に中山道2番目の平尾一里塚があるはずだが見つからない。近くの店主の方に聞くと、「この辺りにあったという人もいるが、今はもうなくなってどこか分からない。若い頃もっと向こうで見た記憶がある。私に聞かずに交番のおまわりさんに聞いたらというのだが、最近のおまわりさんは知らないんだ」と仰った。平尾一里塚不明。

しばらく行くと板橋宿に到る。中山道最初の宿は板橋宿であるが、石神井川に架かる橋の名前が語源だそうである。
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都営三田線志村坂上駅の辺りに道の両側に立派な榎の木が見えてくる。なんと、現存する一里塚である、しかも両側に。日本橋から3つ目、志村一里塚。
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引き続き歩く。戸田橋で荒川を渡る。橋ですれ違った男性も中山道の同じ本を持っていた。12時57分、埼玉県に入る。橋を渡ったところに戸田の渡し跡の石碑が建つ。
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14時前に蕨宿に入る、中山道2番目の宿である。なんとなく昔の風情が残る街並みのなかに本陣跡と歴史民俗資料館があり、展示物も割合に充実。
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蕨宿はかつて周囲に堀が巡らされ、堀に面する民家には「跳ね橋」が付いており、朝下されて夕刻には上げられたそうだ。跳ね橋が上がると宿内に出入りできず、こうして防犯と防火を兼ねた。今でも北町の民家に跳ね橋を再現したものを見ることができ、歴史を大切にしていてとても嬉しいものである。
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蕨宿の広場で大宮から歩いてきたという年配夫婦と話をした。既に奈良井まで歩いたそうだが日本橋と大宮の間はまだだったそうで、そこを埋めたいとのこと。中山道は冬歩くのはやはり難しいとのことで、春か秋に歩くことを薦めていただいた。

14時38分、辻一里塚通過、江戸から5番目である。4番目の戸田村一里塚は不明とのこと。
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このあとアクシデント、五叉路で進む方向を間違え、約25分のロス。歩いていて何かおかしいと思ったらやはり、街道歩きも慣れてくると勘が鋭くなってくる。(それなら最初から間違わなければ良いのに・・・)

昔焼米を売っていたところがあるという焼米坂を上り、浦和を目指す。焼米はおやつや携行食にしたそうだ。
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やがて平安時代からの古社、調(つき)神社に到る。朝廷に届ける調物(みつぎもの)が由来だそうで、狛犬の代わりに兎が見張っている。
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浦和駅から県庁に通じる大通りを越えたところにある仲町公園に浦和本陣跡の碑がある。時刻は16時ちょうど、大宮まであと5キロであるが途中道間違いでロスしたこともあり、この日はここまで。
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1日目は街中を歩くことが多かったが、それでも中山道の歴史と風情を感じることができた。
東海道に負けず劣らず楽しい旅になりそうで期待できそうだ。

1月4日歩いた距離  24.2キロ
草津宿まで残りあと  483.7キロ

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